2021 NITTA, Katsuaki

博士論文要旨

マルチオミクス解析によるStreptomyces coelicolorにおける抗生物質生産へのcAMPの影響に関する研究

大阪大学大学院 工学研究科 生命先端工学専攻 生物工学コース

生物資源工学領域(福崎研究室) 新田克章

第一章 緒論

放線菌は現在までに発見された抗生物質の7割近くの生産を担う,抗生物質の重要な生産源である.放線菌における抗生物質合成を担う代謝の誘導の程度は放線菌の有する複雑な制御機構によって支配されている.このため,放線菌のゲノム中に各種抗生物質の合成遺伝子クラスターが存在するにも関わらず,多くの抗生物質は通常の培養条件下では合成されず,ゲノム中で休眠していると表現される.従って新規抗生物質の発見ひいては発見された抗生物質の工業的生産を見越した生産性向上のためには,抗生物質生産を支配する複雑な制御機構の更なる解明が求められる.放線菌に属するStreptomyces属の中でもStreptomyces coelicolorは色を呈する抗生物質を産生する特性を有することから,抗生物質生産に関連する制御機構の解明のためのモデル放線菌として,学術的に有用な研究対象とされてきた.2002年にS.coelicolorの全ゲノム配列が決定されて以来,S.coelicolorにおいても各種オミクス解析が抗生物質生産に関連する制御機構の更なる解明のための有効な手法として採用されるようになった.しかしながら,各種オミクス解析の中でも,メタボローム解析 (代謝物網羅分析) のStreptomyces属への適用例は非常に少なく,不適切な適用例が散見される.本研究では,メタボローム解析による精密表現型解析を採用することで,S.coelicolorにおける抗生物質生産に資する知見の獲得およびその作用機序の解明を目指した.また,メタボローム解析によって得た代謝物情報に加えて,他階層のオミクス解析であるトランスクリプトーム解析 (遺伝子発現網羅解析) を同時に採用することで,抗生物質生産の制御機構の解明のための更なる情報の取得を試みた.

第二章 抗生物質生産能の異なる放線菌Streptomyces coelicolor株のマルチオミクス解析

S.coelicolorは対数増殖期において菌体の合成を行い,培地中の基質が枯渇した増殖定常期において緊縮応答(Stringent response)が起きることで各種抗生物質の生産を開始する.しかしながら,現在までにおいて,異なる培養期間におけるS.coelicolorの代謝物量の主要な変化を特定した研究例は報告されていない.そこで本研究ではS.coelicolorの菌株の中でも,抗生物質生産のための宿主株として汎用されるM1146株の対数増殖期および増殖定常期における細胞内・細胞外の一次代謝物の網羅的な絶対定量を行った.結果的に解糖系やTCA回路などを含む中央代謝に関連する代謝物量の減少が主な代謝物量変化であることが示された.ここでRNAseqによるトランスクリプトーム解析を行ったところ,遺伝子発現の変化も同様の結果を示した.本結果から,抗生物質の合成が開始される増殖定常期は,抗生物質合成のための前駆体量確保の面から適切ではないことが示され,前駆体がより多く確保されている早期の培養段階において抗生物質生産を開始させることが,培養後期における最終的な抗生物質生産量の向上に寄与する可能性が示された.そこでS.coelicolorによって元来合成されるアクチノロージンを対象抗生物質として設定し,生合成遺伝子導入およびrpoB遺伝子への部分変異導入によって,S.coelicolor M1146株における抗生物質生産能の強化を行った株の解析を試みた.結果的に培地中の基質が十分量存在している培養早期 (対数増殖期) においてアクチノロージンの生産が開始されると同時に,培養後期における最終生産量の向上が達成された.

ここで観測されたアクチノロージンの異なる培養開始時期および異なる最終生産量は,緒論で掲げたマルチオミクス解析によるS.coelicolorの精密表現型解析に有用である.上記で用意された異なるアクチノロージン生産量開始時期・最終生産量を有するS.coelicolor株に対してマルチオミクス解析を適用した結果,細胞内・細胞外におけるcAMP(環状アデノシン一リン酸)の量がアクチノロージンの生産量と相関関係にあることが示され, S.coelicolorによる抗生物質生産においてcAMPが重要である可能性が示された.

第三章 放線菌Streptomyces coelicolor株におけるcAMP添加のマルチオミクス解析

第二章で得られた知見を基に,cAMPのS.coelicolorにおける抗生物質生産への重要性を示すため,cAMPをS.coelicolorの培養培地への添加実験を試みた.cAMPを培養培地に添加した結果,菌体量の増加,対象抗生物質としていたアクチノロージンの生産量,また抗生物質Germicidinの生産量の向上を達成した.本知見の作用機序を解明するため,cAMPを培養培地に添加した際のメタボローム解析およびRNAseqによるトランスクリプトーム解析を行った.結果として,メタボローム解析では,cAMP添加試料においてプリン塩基であるグアニン,ヒポキサンチン,キサンチンの量の増大が観測されたと共に,トランスクリプトーム解析では,プリン塩基の合成関連遺伝子の発現レベルの向上が観測された.そこで,サルべージ回路関連遺伝子の発現レベルの向上およびGMP (グアノシン一リン酸)量の向上から,上記のプリン塩基の中でもグアニンおよびグアニンに関連する代謝経路がcAMP添加による正の制御に寄与しているという仮説を提唱した.

上記を受けて,グアニンと関連する反応に対して競合阻害を示す7-メチルグアニンを添加することで,グアニン関連代謝を阻害することを試みた.結果として,7-メチルグアニンの添加によって菌体合成およびアクチノロージンの生産量が有意に阻害された.また同時にcAMPを7-メチルグアニン添加試料に同時に添加することで,7-メチルグアニンによって阻害される反応がcAMPによる正の制御の下流に存在することの証明を試みた.その際に,コントロール実験として,グアノシンと競合阻害する7-メチルグアノシンを培養培地に同様に添加し,本試料に対してもcAMPの添加を行った結果,コントロールである7-メチルグアノシン添加試料では阻害された菌体量とアクチノロージン生産量のcAMP添加による回復が観測されたのに対して,7-メチルグアニン添加試料では阻害された菌体量とアクチノロージン生産量の回復が観測されなかった.本結果から,7-メチルグアニンによって阻害される反応はcAMPによる正の制御の下流に存在しており,cAMPによる正の制御において重要な役割を有していることが示された.

第四章 総括と展望

本研究では,メタボローム解析を基盤としたマルチオミクス解析をS.coelicolor株に適用することで,抗生物質生産に寄与する代謝物の特定およびその作用機序の部分的な解明を行った初の研究である.メタボローム解析によって,抗生物質の生産量が細胞内・細胞外のcAMPの量と相関関係にあることが示されると共に,cAMPの培養培地への添加によってアクチノロージンやGermicidinなどの抗生物質の生産性向上が観測された.ここでcAMPを添加した際のメタボローム解析・トランスクリプトーム解析を介したマルチオミクス解析を行うことで,cAMPの正の制御においてグアニン量増加の重要性が示唆され,阻害剤の添加により,7-メチルグアニンによって阻害される反応がcAMPの正の制御の下流に存在していることが示された.本結果より本研究はS.coelicolorにおける抗生物質生産に関連する制御機構の更なる解明を達成した.

今後の展望として,本研究はメタボローム解析を基盤としたマルチオミクス解析のS.coelicolorへの適用を行う研究において端緒を開くものになることが期待される.また本研究では,代謝物および遺伝子発現の点から多くのデータを取得しており,今後の当該分野における各種オミクス解析の結果と統合することで,S.coelicolorにおける抗生物質生産に関連した制御機構の更なる解明が期待される.

本学位論文に関連する論文

1. Katsuaki Nitta, Francesco Del Carratore, Rainer Breitling, Eriko Takano, Sastia Prama Putri, Eiichiro Fukusaki: Multi-omics analysis of effects of cAMP on actinorhodin production in Streptomyces coelicolor, Frontiers in Bioengineering and Biotechnology, 8, 595552 (2020)

2. Katsuaki Nitta, Rainer Breitling, Eriko Takano, Sastia Prama Putri, Eiichiro Fukusaki: Investigation of effects of actinorhodin biosynthetic gene cluster expression and a rpoB point mutation on the metabolome of Streptomyces coelicolor M1146, Journal of Bioscience and Bioengineering, In Press (2021)