2023 IKUTA, Soichiro

博士学位論文要旨

 

質量分析イメージングによる植物種子中のグルタミン酸脱炭酸酵素活性の可視化

 

大阪大学大学院工学研究科 生物工学専攻

生物資源工学領域(福崎研究室) 生田 宗一郎

 

第1章 緒論

生体内の酵素活性の局在を調べることは,生物の生命現象を理解するために重要である.酵素組織化学は,組織切片上で酵素活性の局在を可視化する手法である.この手法は,特異的に酵素活性の局在を調査することができるが,加水分解反応や酸化還元反応等の反応により発色する人工基質の設計が容易である酵素に標的が制限されるというデメリットがある.近年,酵素活性の局在を可視化する新しい方法として,質量分析イメージング(mass spectrometry imaging: MSI)を,酵素組織化学に応用した手法が開発された.しかし,MSIを用いた酵素組織化学の手法は植物サンプルに対して適用された報告はない.

γ-aminobutyric acid (GABA)は近年人間の健康への寄与が報告されているため,GABA高含有食品が注目されている.さらに植物は種子の発芽段階でGABAを蓄積されるが,GABAの役割は明らかにされていない.そこで本研究ではGABAの生合成に関わる酵素であるグルタミン酸脱炭酸酵素(GAD)に注目し,食品としても消費される植物発芽種子におけるGAD酵素活性局在の可視化法を確立することを目的とした.

 

第2章 マメ科植物におけるグルタミン酸脱炭酸酵素活性の可視化

本章では,MSIを用いた酵素組織化学手法を植物にも適用可能かを検討するために,マメ科植物の発芽種子内におけるGADを対象とし,MSIを用いた酵素組織化学手法の開発を目的とした.植物サンプルとして,モデル植物や食品としても幅広く利用されているダイズ(Glycine max)とアルファルファ(Medicago sativa)の種子を用いた.研究手法として,まずMSIを用いたダイズ発芽種子切片上に基質として重水素標識されたグルタミン酸をスプレー噴霧により試料表面へ塗布し重水素標識されたGABAを検出することでGADによる酵素反応を確認した.

次に相対GAD活性可視化のために,基質溶液に用いるバッファーpH,酵素反応温度,酵素反応時間の最適化をおこなった.その後根部と子葉部を分離しLC/MSを用いて相対GAD活性を測定し,MSI結果の評価をおこなった.さらに分析時のレーザー照射間を狭くすることで,組織特異的なGAD活性の局在を高解像度で調査した.最後に,種子が小さく組織の分離・回収がより困難なアルファルファの発芽種子において本手法の適用可能性を確認した.その結果,MSIを用いた酵素組織化学法により,ダイズ種子におけるGAD活性の局在を可視化することに初めて成功した.GAD活性の局在を可視化することによって,従来の方法では不明であった大豆の組織内でのGAD活性の分布が明らかになった.さらに組織の分離・回収が困難であるアルファルファ内の組織間のGAD活性の局在を可視化することに成功し,本手法の植物サンプルへの拡張性を示すことに成功した.

 

第3章 塩分ストレスによるオオムギ発芽種子中のグルタミン酸脱炭酸酵素活性の可視化

GABAは,植物において寒冷,高温,乾燥,低酸素,機械的傷害など様々な環境ストレスに応答して植物に蓄積する.GABAの生合成に関わる酵素として,GADもストレス応答に大きく関わっており,塩分ストレスや浸透圧ストレスによって発芽過程でGAD活性値やGAD発現遺伝子発現量が増加することが報告されている.しかし,塩分ストレスが植物種子のどの組織でGAD活性に影響するのかは明らかにされていない.そこで第三章では,第二章で示した,MSIを用いたグルタミン酸脱炭酸酵素活性の可視化手法をオオムギ種子にも拡張し,オオムギ種子の発芽段階における塩分ストレスによる部位特異的なGAD活性の局在分布への影響を調査することを目的とした.研究手法として,まずLC/MS分析を用いてオオムギの発芽段階で塩分ストレスによってGAD活性に対する影響を調査した.次にMSI分析によるオオムギ発芽種子中のGAD局在可視化のためのMSIを用いた分析のためのパラメーターの最適化をおこなった.その分析メソッドを用いて異なる発芽段階における塩分ストレスに曝露された発芽種子とコントロール発芽種子におけるGAD活性局在の分布を比較した.さらに種子の胚,糊粉層における塩分ストレスによるGAD活性への影響を比較した.本研究により,MSIを酵素組織化学に応用することで,オオムギ発芽種子を用いて発芽時の GAD 相対活性を可視化することに成功した.塩分ストレスによってオオムギ発芽種子でGAD活性が増加し,その増加が主に種子胚におけるGAD相対活性が増加したことが明らかとなった.さらに抽出分析では分離が難しく,酵素活性の測定が困難な種子表層の組織である糊粉層においてより塩分ストレスを曝露された種子で高いGAD活性が検出することに成功した.

 

第4章 総括と展望

本研究は以前開発された質量分析イメージング法による酵素組織化学手法を植物サンプルに応用し,双子葉植物であるマメ科植物のダイズ種子とアルファルファ種子,単子葉植物であるオオムギ種子においてGAD活性の局在を可視化する手法を確立することに初めて成功した.さらに,さらにこの手法を塩分ストレスに暴露されたオオムギの発芽種子におけるGAD活性の可視化に適用した.本手法を応用することで,GADが植物の発芽過程や塩分ストレスに対してどのように寄与しているかの解明し,GABA高生産メカニズムの一端を解明できることが期待される.最終的にはGABAをより多く含有した食品の開発に役立てられる可能性がある.またGADは動物において神経伝達に関わる重要な酵素であり,本可視化法は動物組織の神経・精神疾患の研究に応用できる可能性がある.

 

論文リスト 本学位論文に関与する論文

1) Soichiro Ikuta, Naho Shinohara, Eiichiro Fukusaki, Shuichi Shimma, Mass spectrometry imaging enables visualization of the localization of glutamate decarboxylase activity in germinating legume seeds, J. Biosci. Bioeng. 134, 356-361 (2022).

2) Soichiro Ikuta, Eiichiro Fukusaki, Shuichi Shimma, Visualization of glutamate decarboxylase activity in barley seeds under salinity stress using mass microscope, Metabolites, 12, 1262 (2022).